
長続きしない恋愛をたくさん経験してきました。
私の恋愛は、なかなか長くは続きませんでした。
付き合ってしばらくすると飽きてしまうのです。
長く付き合えても、1~2年といったところです。
高校を卒業し、浪人した時に好きになった人に3回告白してフラレることもありました。
その後入学したのはアメリカの大学の日本校で、2~3人から告白されましたが、勉強があまりにも忙しくて破局を繰り返しました。
なんと、先生から告白された時はとても驚きましたが、やはり徹夜続きの毎日で、会う余裕もなくてフラれました。
その後、なんやかんやあって家出をしました。
家出中に出会った人は、私の好みではなかったものの、淋しさから付き合うことになりました。
ですが、動機が不純だったこともあり、半年で別れました。
結婚への焦りはなかったが、薄っぺらい恋愛から卒業したかった。
結婚にたいして焦りはありませんでした。
まだ若かったですし、考えていなかったから、というのが正確だと思います。
ですが、「次に恋愛する相手と結婚する」と決めていました。
理由は、それまでの恋愛が薄っぺらいものだったからです。
また恋愛して、別れるなりフラレるなりするのが、疲れてしまったのです。
恋愛中は楽しいですが、それだけでは満足出来なくなっていったのです。
結婚願望というよりは、安定した関係を求めたくなったのだと思います。信頼関係というのか。
夜間の英語専門学校で出会った同年代の彼。
出会ったきっかけは、家に連れ戻されて夜間の英語専門学校に通ったことです。
年下のクラスメイトが多く、英語を話せる人はあまりいませんでした。
その中で私を慕ってくれている男の子がいるのは、分かっていましたが、また別れるんだろうなぁ~と思うと、知らないフリをするしかありませんでした。
その時には、「次に恋愛する相手と結婚する」と決めていたのです。
クラスメイトの中で、唯一同年代だったのが夫です。
夫は目立つ存在ではありませんでしたが、多少英語が話せたので授業でペアを組む時は、必ず相手は私に割り振られました。
何度も組むうちに親しくなり、週末は英語を使って出掛けるという二人の「補習」が始まりました。
放課後、お腹が空くので(授業が18:00~)、クラスメイトと屋台のラーメンを食べるということが、度々ありました。
そんな時は、私と夫がご馳走することが多く、私達は仲間、友人、親友と距離を縮めていくことになりました。
しばらくすると、2週間に1度の週末は英語で出掛け、残りの隔週は二人で(日本語で)出掛けるようになり、お互いプライベートな話しをするようになりました。
夫は当時、会社に行きながら学校に通っていました。
忙しい中でも手を抜かず、予習復習もし、なかなか上達しないと嘆くクラスメイトに勉強を教えていました。
私はそんな夫をとても尊敬していました。
ご飯に誘うくらいの”軽さ”で「結婚しない?」
付き合うきっかけは、突然でした。
いつもの週末のお出掛けの時、原宿、表参道から青山に向かう道すがら「気が合うよね。結婚しない?」のプロポーズからお付き合いが始まりました。
私は「いいよ~」と、軽く答えました。
何故その時、その場所だったのかはわかりません。
話題の流れでもなく、本当に唐突かつ、「何か食べる?」くらいのテンションでした。
知り合って1年半、卒業が見えてきたからかも知れません。
それから、二人の「補習」はデートに変わりました。
話す内容も、結婚を前提にしたものへと変わりました。
私の父親は頑固で昔かたぎな人でしたので、どう説得するかの作戦会議を開いたり、どこに住もうかと、色々な駅を歩いたりしました。
デートらしい場所に行った記憶がありませんでしたが、楽しい時間でした。
もちろん、喧嘩もしました。
ですが、お互い「結婚する」という意思が揺らぐことはありませんでした。
若さは無謀でもありますね。
本当に深く考えなかったのです。
付き合って変わったのは、お互いの呼び方で、学校では今まで通り名字で呼び合い、それ以外では下の名前で呼び合うことくらいです。
それまで「親友」でしたから、当然プラトニックな関係でしたが、親しく身体を合わせるようになったのも、このころからでした。
夫の友人に紹介されたり、私の家族に紹介したり、ままごとのような楽しい時間でした。
親友として付き合った1年が、とても大切な時間でした。
結婚に至ったのは、今までの恋愛と違い、距離を徐々に短くしていく過程があったからだと思います。
正式に付き合うまでに、1年じっくり親友として付き合えた時間が、とても大きかったと思います。
親友としていつもの週末の出掛けている時に「気が合うよね、結婚しようか?」、このプロポーズで、結婚を前提にしたお付き合いが始まりました。
とは言っても、毎週土曜日は会っていたので、デートという感じはなかったのですが、結婚に向けた話しが話題に出ることが多くなりました。
また、私の両親にも紹介をし(私は東京、彼は実家が鹿児島だったので)、私の15才年の離れた妹を連れて、公園に行くことで家族シュミレーションもしてみました。
私の家族の期待も高まり、きっと夫は「結婚しなくては!」と強く意識したと思います。
ただ、私は家事や料理の経験があまりなかったので、専門学校を卒業してから1年、みっちりと実家の家事を担当することになりました。
その間、夫は仕事に邁進していました。父親を説得するにも、その1年は必要でした。
卒業、両親の顔合わせ、結婚、新婚旅行。目まぐるしい日々。
結婚出来て、ようやく一段落した気がしました。
学校を最優秀生として、二人で卒業し、私は就職せずに実家の家事を一手に引き受け、料理を覚えました。
それから、父親を説得するのに時間がかかり、鹿児島の夫の両親を呼んで、浅草の有名店で顔合わせのセッティングをしました。
結婚式の式場を見学したり、教会やレストランに下見をしに行き、鹿児島の親戚の泊まる宿を手配しました。
結局、教会で式をあげ、銀座のレストランで、婚姻届けをゲストの前で書く形の式をあげました。
その後、すぐに新婚旅行で、目まぐるしく過ぎてゆきました。
ケンカしながら、楽しみながら、一連の作業を終えて、ようやくの結婚生活です。
週末一緒に出掛けることもあれば、夫が一人で過ごしたがり「これが結婚生活なんだ」と、しみじみ思ったものです。
結婚生活は15年で終了。2度目の結婚前のお話。
私は若さという勢いで結婚しました。
ですので、自分磨きも、婚活もなかったのです。
ですので、ここでは、2度目の結婚前にしたことを書こうと思います。
残念ながら、1度目の結婚は、15年で終わりました。
2度目の結婚は4年前です。
1度目の結婚が終わり、私はパートで二人の子供を育てていました。
なりふり構わずです。
子供が18才と16才になる頃、ふと鏡を見て驚きました。
目が死んでいたのです。毎日、遅くまで働いて、ご飯の用意をして、慌ててパートに出ていくだけの日々でしたので、髪はボサボサ(働く時はまとめていました)、肌はボロボロ、おまけに洋服も靴も、仕事着以外は何も持っていないのです。
少しずつお金を貯めて、洋服や靴を買いました。
美容院にも毎月通い出しました。
たまにパックをし、化粧水をじっくり浸透させてみました(私には高かったのですが、ドモホルンリンクルを使用しました)。
そうしたら、気分がガラリと変わったのです。
そんなある日、昔の友人(今の旦那)に「久しぶりに会わないか?」と、誘われました。
新しい服と靴で、会いに行くと「若返ったな!何をした?」と、驚かれました。
私に必要だったのは、自分に手をかける時間と手間でした。
手間をかけるぐらいなら、寝ていたかった時期でしたが、それでも、手間をかけると心に余裕が生まれます。
その余裕が新たなエネルギーを生み出します。
私は自分の意識を変える必要があったのです。
婚活しなくても、本を読まなくても、自分の意識を変えるきっかけさえあれば、結婚はいつでも、いくつでも出来ます。
女性には、そのパワーがあります。何かの「きっかけ」を見つけてみて下さい。
私は化粧水だけでなく、下着も変えました(確かトリンプです)。
一つ一つで、徐々に変化が訪れます。